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ドン底にはまる
こんばんはー
大阪帰省の思い出を忘れないうちに書きたいと思いながら、パート疲れで寝てばっかりでございます。
しかーし!
今日から何故か三連休なので、映画のDVDを観ました。
「私の中のあなた」というキャメロンディアスが出てる映画です。

美しすぎるくらい良い映画でした。
白血病の姉のドナーになるために遺伝子操作によって生まれた妹が、姉への臓器提供を拒むため実の親を訴える、、という重たいテーマの映画でした。
退屈な時間は無く、2時間がっつり見入ってしまいました…。

なんというかもう、、
映画に引きずりこまれてすごい情緒が。情緒がすごい←日本語どうした
病院の面会時間の終わりが来て、死と隣り合わせの家族を病室に残し退室する場面でもう画面が見えなくなるほど号泣しました。

いつもいつも、出来るだけ思い出さないようにしている事があるのです。
それがドッと押し寄せてきました。
家族や夫には、こういうトラウマがある事を言えません。
心配をかけることはわかってるから。
それに、本当に普段は何も考えてないから←
でも、どこかに、誰かに聞いてもらいたい。

父の最期の三日間、病室でのこと。
脳出血のため意識はないと医者から言われた父が、一旦駅まで人を迎えに行くために病室を出なくてはならない私の手を強く握った。
言葉は話せなくても首を振って「行くな」と言ってるようだった。
あの時の父は、自力で起き上がろうとしたり、こちらの問いかけに頷いてくれたり、手をさするとさすり返してくれたり…
助かると思った。
医者はそれを生体反応だと言ったけど、生体反応で涙を流したり手を握り返したり起き上がろうとしたりするもんか、と今でも思う。
父は意識がハッキリしているうちに私と話したかったのだと思う。
なのに私は、
「大丈夫やから、ほんの数10分でまたすぐに来るから」って言って病室を出た。
ほんの数10分。
病院と駅を往復して、帰ってきたらさっきまで頷いて動いてた父の意識がなくなっていた。
そしてそのまま面会時間が終了になってしまった。
翌日も父は生きていたけれど、もう頷いたり手を強く握ったり出来なくなってしまった。

今もあの時の事を後悔してしまう。
仕方なかった、誰も悪くない。
わかってるけども。
1分でも長く、ハッキリ話せる父と一緒に居るべきだったのだ。
あの病室を出る時に、父が手を強く握ってきた時、私は気付いたはずだった。
その様子に。
きっと父が一番よく分かっていた。
次に眠ってしまったら最期かもしれないって。
なのに。こんなに動けるなら助かるかも、父が死ぬわけない、そんな気持ちだけで病室を出た。

結局その翌日も父は目を開けて、なんとなく瞼や瞳の動きで話した。
意識はないとやっぱり医者は言ったけど、目を見れば家族ならわかると思う。
だけど、病室を出る時のようにはっきりとした事はもう出来なくなっていた。
あの時、何か伝えたかったんじゃないだろうか。
そんな事を考えても仕方ないけど。
もう三年前の話で色んな事を忘れ始めてる。
それでもあの瞬間の父の想いを考えると、胸が締め付けられる。
あの手を握ってくれた時と父が逝ってしまった瞬間は鮮明に昨日の事のように残っている。

そして年に一度くらいグルグルと考えてしまう。
自分が失くなるかもしれない時に、家族がどこかへ行ってしまうってすごく悲しかったんじゃないか、とか。
すぐ横で病状を話されて、本当は起きてたとしたらすごく怖かったんじゃないかとか。
何故あと数分話を聞いてあげられなかったのか。
何故医者に病状を話す事を外でしてもらわなかったのか。
父の気持ちを考えると怖くて怖くてどうしようもなくなってしまう。
後悔は何も生まないとは言うけれど、するなと言われても無理な話だ。

それにこんな話は誰にしても暗くなってしまう。
そんな事は望まない。
ただ、何かの拍子でドン底に落ちてしまう日があって、そんな日はここにぶちまけるのだ!
捌け口にサンキュ←生き物にサンキュみたいに言うな

あと数時間で夫が帰ってきたら、いつも通り元気をもらおう。
彼から吸い取らせてもらおう。
| 日常〔群馬〕 | 21:14 | comments(8) | - | pookmark |

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